無理なく、無駄なく、美しく
最近、流行り(?)の「キッチンリセット」。私もやっています。1日のおわりに、キッチンを綺麗な状態に保って1日を終えることが、心地よい。

普段、なんとなく大事にしていることのひとつに「無理なく、無駄なく、美しく」ということがある。仕事でも、家の片付けでも、人との接し方でも、色々なシーンで大切にしたいこと。
無理をしてはいけない。無駄なことはしない。そして、美しくありたい。こういう感じかな。
私は、わりとキッチンを綺麗に片付けて、整理をしている。毎日、1日の終わりに、キッチンカウンターの上が何もないフラットな状態だと、今日も綺麗に片付けたな、とちょっと良い気分になれる。1日使ったキッチンをきれいに片付け、掃除して綺麗な状態に戻し、翌朝に気持ち良くキッチンを使える状態にする「キッチンリセット」だ。
キッチンを綺麗に保つ上でも「無理なく、無駄なく、美しく」のスタンスだ。逆に、無理があって、無駄があって、美しくないのは、次のようなこと。
無理がある
やるのが苦痛だったり大変だったり。それによって不便だったり我慢を強いられたり。
無駄がある
何がどこにあるかわからない状態。導線がよくない。物が取り出しにくい。不要なものが多い。
美しくない
見た目が荒れていたり汚い。生活や習慣が荒れている。
無理をするということ
本当に綺麗にキッチンリセットをしている人に比べると、甘いと思う。ガスコンロの五徳は、毎日外して洗っていない。軽い炒め物程度なら、五徳の上からガスコンロをサッと拭く程度だ。排水溝もサッと数秒注ぐ程度に洗うだけ。
わたしはモノを最小限にするミニマリストでもない。キッチンカウンターの上には、あまりモノは置いていないし、ゴミ箱も家には最低限の数しか置かない。でも、キッチンカウンターの上にモノはゼロでもないし、ゴミ箱もゼロでもない。ゴミ箱がまったくない状態というのは、ミニマリストの域に達していない私には不便だ。あと、一人暮らしではないので、家族にも必要以上の苦痛を与えてしまうことになる。
気持ち良くできるラインを超えると苦痛になる。それは無理をしていることになる。
無駄であること
収納や整理整頓のルールを決めていなかったり、元の場所に戻さないと、調理道具や使いたい食器がどこにあるのかわからなくなってしまう。お玉や菜箸がガスコンロから遠いと使いにくい。料理を火にかけているときに、動かずにサッと取り出せる状態でないと無駄な動きになってしまう。使わない調味料や賞味期限切れの食材で、キッチン収納や冷蔵庫のスペースを圧迫してしまっている。
こういう色々な無駄の積み重ねが、キッチンの使いやすさ、心地よさに影響を与える。
美しくないということ
キッチンを使っている時、散らかっていたり、汚れていたりすると、料理をするモチベーションも下がるし、リビングから見えるキッチンが汚れているのも、日々の生活の気持ちよさにも影響を与える。
料理をする時に、導線が悪かったり、物が見つからないと、手際が悪くなる。手際の悪い料理をする自分があまり好きじゃない。料理が終わると同時に、できれば料理中に使った道具をできるだけ洗ってシンクも空の状態にしたい。何品目か料理する時に、できるだけ同時に完成させたり、熱い料理は熱い状態で、冷たい料理は冷たい状態で、ベストの状態で食卓に並べたい。これは性格だと思うけれど。
ちなみに、料理も掃除も家事も、夫婦で手分けをしてやっている。キッチン回りの掃除は、こういう性格なので、わたしがやることが多い。料理は、手が空いている方が作ったり、夫婦で作ったりしていることが多いですよ。
そして、キッチンが汚れていたり、散らかっている状態は、自分自身を映す鏡だと思っている。物を出しっぱなしにする、使ったらすぐ片付けない、生活空間を大切にする価値観が弱い。そういう生活習慣や考え、価値観をあわらしているのだと、わたしは思っている。
キッチンやキッチンを使う状態が美しくありたいと思っているのは、わたし自身が美しくありたいと思っていることと、重なっている。無理な生き方はしたくないし、無駄なことが多い人生も送りたくないし、美しい生き方をしたい。

仕事でも同じことが言える
無理がある仕事能力やキャパを超える仕事。非現実的だったり、明らかに実現が困難な取り組みの仕事。チャレンジすること、結果はわからないけれど想いや信念に沿って取り組むことは大事だと思っている。そういうチャレンジングなちょっとした無茶は、したいと思っている。そういう無茶を超えた「無理なこと」かどうか、それを大事にしている。
無駄な仕事効率や対費用効果が悪い仕事。非効率な仕事。生産性の低い仕事。自分ではなくてもできる仕事。誰かのためにならない仕事。価値が生まれない仕事。こういう仕事が無駄な仕事だと思っている。ただし、与えられる仕事が無駄か無駄じゃないかよりも、自分の仕事が無駄な取り組みか、価値を生み出す取り組みをしているか。こういう観点で意識している。
美しくない仕事主体性や当事者意識のない仕事、独りよがりな仕事、心がわくわくしない仕事。こういう仕事が美しくないと思う。当事者意識を持って、泥臭く頑張る姿は、ある意味、美しいと思う。
友人に、社会課題や地域課題に、本気で取り組んでいる方々がいる。大きなビジネスや企業規模とは言えない。泥臭いことの積み重ねがたくさんある。そんな彼ら、彼女らの働く姿は、わたしにはとても美しくみえる。
もちろん、すべての「無駄」が無駄だとは思っていない。適度な余白という無駄は、無駄ではない。無理はしないけれど、時には無茶をすること、一歩踏み出してみることも大切だと思う。泥臭い生き方やもがいたりがむしゃらに努力が必要な時だってある。ただ、ベースとして「無理なく、無駄なく、美しく」という生き方やライフスタイルっていいなと思っているし、続けていきたい。
仕事でも、家事でも、遊びでも、まだまだ「無理なく、無駄なく、美しく」できていないことは山ほどある。だけれども、それを意識しないで生きてきた頃より、今は、だいぶ無理なく、無駄なく、美しく、そういう生き方ができているかな。そして、そんな日々が楽しくもある。








