新社会人と「恩送り」ということ

いとこの子供が大学を卒業し、新社会人を迎えた。この春、私が働く職場にも、たくさんの新社会人が入社してきた。街を歩けば、新社会人っぽいなと思うスーツ姿の社会人を見かける。企業内で人材育成の仕事をしているので、毎年、たくさんの新社会人を迎えるし、彼ら、彼女らと会話をする機会も多い。
だから新社会人には毎年のように触れているが、いとこの子供となると、やはりちょっと特別だ。わたしは一人っ子なので、甥や姪もいない。そして、親戚も多いわけではない。だからこそ、いとこは大切な存在だし、そのいとこの子供もまた大切だ。
なので、地元で暮らしている従姪に、就職祝いを送った。自宅に届いたようで、お礼の連絡がきた。その文面や内容に、大人になったんだなぁと感じた。中学や高校くらいまでの印象が強いので、私の中に、子どものイメージが残ってしまっているけれど、お礼のやりとりをしたら、すごい大人になったなと実感。
恩返しではなく恩送り
恩返しというのは、誰かに何かをしていただいたら、そのしていただいた方にお礼をするのが恩返しだ。恩送りとは、誰かに何かをしていただいたら、同様のことを、今度は私が他の誰かにすることだ。いただいた恩を次の人に送る。だから恩送り。
いつ、この「恩送り」という言葉に出会ったのかは忘れてしまったが、素敵な言葉だなと感じて、今でも私の中に残っている好きな言葉のひとつだ。
私がいただいた2つの恩
私の2つの人生の節目の時に、とても素敵な恩をいただいている。
1つは大学に合格した時だ。当時、父が勤めていた会社の社長さんから、10万円くらいするコートを買っていただいた。二人で一緒に買いに行ったのだ。だから金額も印象に残っている。金額的にもそうだが、中学、高校と、私の性格がとても控えめだったり、かなり内気な私を知っていて、気にかけてくれていた社長さんだ。その会社でアルバイトもさせてもらった。そんな社長さんだから、私の成長を喜んでくれていたし、大学生になって地元に戻った夏休みに、またその会社でアルバイトをさせていただく中で、ひどく内気だった私が、少しずつ内気さが弱くなっていった変化も、とても喜んでくれていた。
そのコートは、買っていただいて、もう27年くらい経つが、今でもそのコートは大切にしている。ハレの日だったり、1年に1〜2度程度しか着ないのだが、今でもいい状態で、とても気に入っているコートだ。
もう1つは、私が前職で、取締役に就任した時に、尊敬する方からお祝いをいただいた。私が24歳の時に、Webクリエイターを目指すスクールで私にWebデザインを教えてくださった先生だ。技術的なことも教えてくれたが、「デザインとは」や「クリエイターとは」という根本的な大切なことを教えていただいたと思っている。とても尊敬している方で、学校を卒業した後もお付き合いが続いていて、色々な小さなことでもご縁があった方。その方の事務所がご近所だったので遊びにいったのだが、Web業界で取締役に就任したことをお伝えしたら、その後、お祝いで万年筆をいただいたのだ。
どちらもモノをいただいたというよりも、私の大切な人生の節目を本当にお祝いしてくださっている気持ちが伝わってきて、私はこの2つの「恩」は大切にしている。
恩を次の人へ送るということ
これまで、友達の結婚祝いや出産祝いもしてきたし、もちろん、心からおめでとうという気持ちもあったし、お祝いの品を贈ったり、お手紙を渡したりもしている。でも、今回のいとこの子供へのお祝いが、「恩送り」というイメージに一番しっくりくる。
それは、キャリアという節目であることと、私自身の気持ちや生き方の転機と重なるからなんだと思う。自分の性格を変えたい、自分の人生をなんとかしたい、10代、20代は、本当にそんなことをたくさん想っていた。
高校生から大学生になり、遠くに引っ越しをして一人暮らしを始めた時。Webの道を目指して歩んでいく中で、その業界で取締役にさせていただいた時。どちらもキャリアの節目である。
そして、同時に、自分の性格や私自身の生き方などの迷いや悩みの中で、大きなキャリアの転機を迎えた時だった。大学に行ったら、新しい自分に生まれ変われるように頑張りたい、そんな風に心から思っていた。内気でダメな自分を知っているこの地元から抜け出して、私のことを誰もしない新しい場所でなら、新しい自分になれる気がする。当時は、本気でそう思っていたのだから。
取締役に就任した時は、自分が変わろう、成長しようと、本当にいろんなことをしてきて、自分の人生が動き出したと感じられるような時だった。
そんな時に、尊敬の念を持っている方に心をこめてお祝いしていただけたこと。今だから感じられることかもしれないが、それは本当に大きな感謝だ。
従姪のプライベートをここで色々と語るつもりはないが、決して裕福で順風満帆な子供時代を送っていただわけではないと、見ていて思っている。シンプルに言ってしまえば、私もいとこも、裕福とは逆の家庭で育ってきた。そのいとこの従姪もまた同じだ。
色々と苦労して大学に行くことができて、一所懸命に頑張って国家資格も取って、そして、この春に新しい社会人としての出発をする。
なんとなく、自分と重ねて見てしまう部分があり、だからこそ、ありったけの気持ちを込めてお祝いしたくなったのだと思う。自分がいただいたとても大きなものを、同じくらいの大きさの気持ちを込めて、お祝いを贈らせてもらった。
私が、感謝もしていて、尊敬もしているその2人は、すでに故人となっていてる。天国に旅立っている。だからこそ、恩送りができたのかな、と思えることが嬉しい。恩は相手のために送るというより、自分のために送っているような気すらする。
社長と先生にいただいた恩を、次の人に送ることができたかな。







